下地という雰囲氣

何でも言ってね、全部話してくれていいからね、

と言ったとしても

そうするか、しないか、できるか、できないか、

そういうことは下地という一種雰囲氣があるか、ないか、でおのずと決まっていく。

 

いくら口で言って

頭で理解して

そうしようと思ったとしても。

 

 

たとえば、何でも話していい

という場を創りたいなら

 

そういう文化土壌とわずかでも歴史があると

ある状況になったとき

 

「よし、言ってみよう」

 

となるのだろう。

 

そういう場を創るには、

土づくり、だから

いろいろな要素があってこそよくなるんじゃないのかな。

 

お日様、雨、いきものなどなど

つまり流行りの「多様性」かもしれない。

 

土づくり、だからね。

しかも、目にはみえない土だから。

養分はよく感じてみないとね。

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